エンパワーメントと港型リーダーシップ。かものはしプロジェクトからの独立を決断した青木さんの生き方

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by 唐 語思

今や常識になりつつある国際協力×ビジネス。そのパイオニアとも言われる認定NPO法人かものはしプロジェクト(以下かものはし)共同代表の青木健太さんを取材しました。青木さんは現在かものはしからの独立を決断し”SUSU”というカンボジアのい草を使ったハンドメイドのブランドを立ち上げ、「ものづくり」を通じてカンボジアの最貧困層の女の子たちの「生きる力」を育む場を作っています。

貧困問題に関心がある人なら誰しもが一度は聞いたことがあるだろう「エンパワーメント」という言葉。その最前線で活躍されている青木さんは意外にも元々やりたいことも特に決まっていなければ、国際協力の意識も全くなかったそうです。そんな彼は一体どんな人物なのでしょうか?SUSUのブランドストーリーと、その背後にある青木さんの思いや価値観について伺いました。

唐: まずは現在行っている事業について教えてください。

青木さん: 今取り組んでいるのはカンボジアの農村で、ビジネスの中でライフスキルを身につける学校のような事業で、「School in Business」と自分たちでは呼んでます。農村の最貧困層の女性たちは小学校を途中でやめて農業の日雇いの仕事をやっていることが多いです。そういう子たちが例えば都市に行ったときに良い仕事をちゃんと維持するとか、家庭や地域でいい関係を築いていくためにどういうスキルを身につけたらいいかということを最初に考えました。

彼女たちと共にすごし観察を重ねるうちに、そこで必要なのは問題解決する力だったり、人と関係性を作る力であったり、自己管理力だったり、もっと根本的には自信のような、そういうようないくつかの力があればよいのではという考えに至りました。そうすればカンボジアの経済や産業が変わっていく中でも、自分で自分の人生を切り拓ける人が増えるんじゃないか、と。

それで、16歳から24歳ぐらいまでの子たちを2年間受け入れて、働きながらトレーニングを受けてもらって、その後卒業して色んな会社とか工場で活躍してもらうというように、ものづくりをしながら人づくりをするような事業をやっています。ある意味では学校だし、違う面から見ればソーシャルビジネスですね。

具体的には彼女たちの8割の時間はものづくりをしていて、OJT(編集部注:オン・ザ・ジョブ・トレーニング。実務を通して従業員のスキルを向上させるトレーニング手法)のような形で求められるものをみんなでちょっとずつクリアしていくと。残りの2割の時間はライフスキルトレーニングに特化していて、すごく分かりやすい例で言うと識字を教えていたり、例えば最近は算数で百ます計算とかをやってもらっていたりしています。

もうちょっと抽象度の高いものでいうとさっき言ったような問題解決力であったり、人との関係作りであったり、職業倫理と呼ばれるような企業の社会人研修に近いものをやっていますね。ゲームを取り入れながらいかにメッセージを伝えていくか、日本の研修会社にも協力していただいて開発を進めています。

ものづくりを通じて人づくりを

青木さんは元々やりたいことがなかったと耳にしたのですが、設立当時かものはし共同代表の村田さんに協力したいと思ったのはなぜだったのでしょうか?

今思うのは、一つは何か大義とか軸が欲しかったんじゃないんですかね。自分でこれやりたい!みたいなことを考えるタイプじゃなかったから、みんなで盛り上がれるとか、心が一つになれる巨大な問題があって、たぶんそういうことを求めてたような気がして、だからスパッとそれを言った彼女を面白いと思った気がする……変な人だなって。

彼女は「この問題(子どもの人身売買問題)を解決するために生まれてきたんです」という確信をもっていたから。冷静に考えるとそんなわけはないだろみたいな。

一方で、僕はあまり先を見据えてコツコツ物事を進めていくことができないというか、あまり意識して何かをするということができないタイプだったので、そういう確信に憧れるけど自分にはありませんという感じでした。今まで割りとノリでやってきたというか……。

ノリでやってきたというのを丁寧にいうと、人が好きだし面白いことも文化祭的なノリも好きなので、そういうような雰囲気が感じられる場所にフラフラと顔を出したり自分で作ったりしてきていたという気がしていて。だからそれまではどういうテーマに取り組むかということよりも、なんでも良いので熱中してやれるかどうかを大事にしてフラフラとやってきました。

むしろ今になってかものはしから独立してカンボジアで新しい事業をやっていきます!っていう時が一番自分で物事を決めた感じがします。

だからこそ、テーマを持っていた村田さんに惹かれたし、何か一緒にやりたいとそのとき思ったんだと思います。

そういえば昨日SUSUの店舗に行かせていただきました!すごくおしゃれでデザイン性も高くて思わずトートバッグを購入してしまいました。商品のコンセプトや”SUSU(スースー)”の名前の由来について改めて教えてください。

ありがとうございます。SUSUというのはカンボジア語で「頑張って」という意味で人を応援するときに使う言葉で、結構気軽に作り手の女性たち同士や、スタッフたち同士でも昔から使っている言葉です。響きもいいんだけど、実は2つの「頑張れ」という意味が商品に込められています。ひとつは農村で頑張ってる女性たちを応援したいという思いがあること。自分には想像もできないような大変な家庭環境や社会環境の中にいながらも前向きに頑張っている彼女たちにかけたい言葉。

それと同時にもうひとつ意味があって、そういう前向きなエネルギーをSUSUを買ってくれた人にも伝えたいなという意味も込めています。

というのも、NGOで働いているとよく実感するのが、僕達スタッフ自身が頑張っている女性たちの方からエネルギーをもらっていて頑張れるということがよくあります。大変な状況の中で頑張ってる人たちが持つ前向きな気持ちとか前向きな変化に、こっちは前向きなエネルギーをもらっていると感じる。それを、どうにか買い手の方が商品を日本とかで使ってくれてるときに、この商品を手で作ってくれた人が頑張って生きているんだよな、ということをちょっとでも思い出したり、そんな言葉にできないような感覚であったりしてもよいんだけど、なんかあったかいなとか自分も頑張ろうとか思えるような、そういう買い手を応援できる商品になってもらいたいなと思ってます。

心からのSUSUを。
“勇気を持って次の一歩を踏み出そうとするときカンボジアでは、SuSu!と声をかけあいます。困難な状況でも笑顔をたやさず、夢に向かって歩み続けるクチャ村の女性たちが、一つ一つ心を込めて商品を手作りしています。SUSUを手に取るあなたにも、心からのSUSUを。”

青木さんは日本とカンボジア両方で事業を経験されていますが、途上国で起業するということに関して日本との違いや日々のストレス、やりがいについてお聞きしたいです。

当たり前だけど色々違いは感じます。暮らしていても違いを感じるし、カンボジア人と自分とでは得てきた経験、歴史、教育など色んなものが違う。だから当然「常識」も違うし、あるべき論も違うからそこにコミュニケーションコストとかすごくかかってる。伝わり切らないなということで諦めがちなこともあるし。

例えば、スタッフが辞めますという話があったとき、つまりは仕事と自分の関係性の話になるけど、日本人でNGOやっている人はどうしてもNGOをやりたいからやってますという人が多いです。なんなら民間企業蹴ってきてますみたいな人がいます。仕事っていうのもそれなりに人生の中で大事な位置を占めるということがあって、会社っていう組織との付き合い方も結構大きなことになっていますよね。

一方で、カンボジア人にとってみると、そういう感覚の人は必ずしも多くないわけです。仕事は生きていくための手段だし、自分のキャリアを積む場だし、家庭を成り立たせるための重要なツールとしての側面が大きい。特にNGOの文脈でくらべると、仕事との距離感というのは日本人と違っていて、それを忘れてしまうと戸惑うことが多い。別に日本人の方が良いとかカンボジア人の距離感が良いとかそういう話ではなくて、いずれにせよ正解がある話ではないので。

話を戻すと、仕事の距離感が違っていて、突然「給料アップ、キャリアアップしたいんで辞めます!」と伝えて大事なプロジェクトの途中でも辞めちゃうといったことも当然ある。つまりジョブホッピング(編集部注:転職を繰り返すこと)があります。一方でこちらとしては事業をやっていくなかでは、何も資源がないところから他の人と一緒にどうやって活動していくかという話なので、その人をいかに鍛えて、いかに一緒に夢を見てとか色々共有していくかということで進めているわけです。

特に創業経営者だったりすると、自分の身体を共有してるようなもので、夢とか、時間とか、感覚をしっかりと伝えて分かってもらうという関係の中で、マネジャー陣や次期経営メンバーに対する期待が高まってきます。期待するから育成するわけですから。でも期待すると、さっき言ったような色んな違いの中でサクッと辞められた時に、すごく傷つく。うそ……みたいな。でもそれも3、4、5回印象的なのを繰り返すと、どんなに仲良くても突然「ちょっと話したいことあるんだけどいいかな」って言われた瞬間に心が準備できますよ。「来た~!お前も?」みたいな。

身体を共有するというのはすごい感覚ですね!一番傷ついたのはどの時でしたか?

今は前より傷つかないんだけど、例えば前はすげー泣いたことありますね。すげー泣いてるカンボジア人のスタッフもいたし、バイクに乗りながら号泣するとかそういうのもありましたね。

傷つかないようにするっていうのも難しくて、そのための一つの解決策というのは期待しないってことなわけです。でも期待しないと日々がつまらない。だからひとつひとつの傷がかさぶたみたいになったりするんだけど、まあ慣れるか、あとは発想を転換する。「またカンボジアに一人有望な若者を送り出した」みたいな納得の仕方をしています。

逆に一番嬉しかったり満足するのはどんな時でしょうか?

身近にいる人たちとか、自分の名前を分かってくれているそういう半径数百メートルの人たちの変化・成長が結構好きなんです。たとえ日本人だろうとカンボジア人だろうと、マネジャーだろうと農村の女性だろうと、ワクワク前向きに生きられるようになった、という感覚を持ってやりやすそうに生き生き伸び伸びとしてるのをみているとやりがいを覚えます。例えばあるマネジャーの理念がだいぶ変わったなとか、言ってることの重みや安定感がでてきたなぁ、とかいうときにすごいやりがいを覚えています。

僕の仕事は平たく言うとサポートで、この組織にいる人たちがこの場を利用していかに気持ちよく自分の人生を成し遂げるか、エネルギーを持って目標に向かって頑張ることを実現できるかどうかということが成果。だからそれをやる場だったり、問題解決を手伝うことだったり、みんなが生き生きと働けるのをサポートしたい。自分自身が船長という感覚はなくて、船長というよりは港です、という宣言を最近しています。たまに帰ってきてねみたいな。「港型リーダーシップ」と僕は一人で呼んでます。みんなが一人一人船長であってほしい、という思いです。

青木さんの生き方。エンパワーメントと港型リーダーシップ

SUSUのミッションの一つに女の子たちの「エンパワーメント」があるそうですが、この概念について少しお伺いします。かものはしの場合、子供が売られない世界を作るという目標がありますが、現在事業を展開されているインドでは児童買春をそもそも悪いことだと思っていないブローカーの人たちもいると思います。「悪いこと」や「良いこと」に対する認識や文化が違う中、青木さんは外部の人としてどのように現地の課題と関わり、ゴールを定めていますか?

例えば、世の中には基本的には犯罪が生活の糧になっているコミュニティがあったりするんけど、そこはネットワークがあって、そのコミュニティの子どもが定期的にある都市にある売春宿などに売られていくようになっています。もちろんみんながまったく心を痛めてないわけではないんだけど、やっぱりそういう価値観が根強く残っていたり、インドだと伝統的な仕組みの中で「村で共有される女性」という役割があったりまでします。それは「伝統です」とか「価値観です」ともいえますよね。

こちらが乗り込んで、それをいけないことだと指摘するのは、こちらのどこかに「正義」や「人権」の概念があるからです。つまり、そういう概念を押しつける価値観の戦いをしているということです。この価値観の方が実は幸せかもしれませんよ?世界がうまく回るかもしれませんよ?こっちでも食べていけるかもしれませんよ?ということを納得して意識を変えてもらうための戦いをしかけているわけです。

とはいっても自分自身は人にある特定の価値観がいいって押しつけるのが苦手なので、だから最低限ワクワクしてほしいという僕のエゴだけ押しつけている感覚でやっています。その先の生き方や在り方は自分で見つけてくださいねというスタンス。その人がやりたいことをやれるための環境や能力、きっかけを提供するという意味のエンパワーメントは、僕にとってすごくしっくりとくる言葉なんだよね。

ワクワクしてほしいという思いを「エゴ」と表現されたのが、自らの事業をすごく客観的に眺めているんだなという印象を受けたのですが、「別にワクワクしなくていいです」という人たちに対してはどういう向き合い方をされていますか?

面白い質問ですね。気をつけているのは、「ワクワクしようよ!」みたいなことをただ誰にでも松岡修造のように言えばいいという訳ではないこと。「ワクワクしなきゃいけない!」という言葉には暴力性があって、もしかするとある人にとっては「好きでワクワクしてないわけじゃないんだよ!」っていう思いがあるかもしれません。特に必死でもがいている人達にただそう言っても、その人の心に届かないどころか傷つけてしまうこともあるでしょう。だから自分はそういう風には伝えたくないなと思っています。

世の中にいわゆる松岡修造は必要なんだけど、僕はキャラが違うし、全員それしか伝えてなかったら辛い感じかな、と。「生きろ!!」みたいな。僕自身はそれが受け入れられない人の弱さみたいなものに興味があるんだと思う。

つまり、そこで「頑張れない……」と思ってしまう人がいることにもともと好奇心があるんだと思う。「頑張れないよ」と言われると、「あ、そうだよね」ってなる。どんな辛い環境でもめちゃくちゃ成長してめちゃくちゃ成功してるやついっぱいいるし、頑張れる人は頑張れる。だから「頑張る」ということは義務として捉えられがちだけど、実は自分が頑張れるというのは社会やこれまで受けてきた家庭での扱いなんかに支えられているという側面があるのを忘れないようにしたいです。

この事業をやりながら気づいたことの一つでもあるんだけど、僕はすごいラッキーな人生を送っていて僕の努力にかかわらず、自尊心が育まれて自信を持てて今この瞬間も頑張るかどうかを選ぶことができる。

それを実感したのは、昔仕事を休んでいる女性の家庭訪問に行ったときのこと。その女性に「私何もやる気なくて働きたくないです」って言われたことがあって。その時は「そんなこといっちゃダメだろ」って戸惑いが大きかったけど、今はむしろそういう心の動きに寄り添った上で自分のメッセージを届けたいと思う。何故そういう風に思ってしまうのかと興味を持って知った上で。

僕や事業のスタッフが彼女にかけた言葉よりも、彼女がこれまでに受けてきた教育や、親からの影響とかの方が当然多い。そしてそれらが違うメッセージだった可能性も大きい。そういう意味で、自分のメッセージや事業、その中のトレーニングがその人を大きく変えられるかはわからないと思ってしまうこともあります。

それでも、彼女だけじゃなく他の農村女性、そして一緒に働くスタッフ達にもこのメッセージを届ける、価値観を問いかけるのが自分の生き方だと思っている。単純に、自分自身の体験から、そういう価値観で生きると楽に生きられるよ、楽しくなれるよという希望を抱いているから、それをみんなに体験してほしいんだと思う。

一緒に働くのは平均して2〜3年だけだったりするかもしれないけど、その中でも色んな会議を一緒にしたりとか一緒の場所にいることで、必ずどこかに影響はあると信じています。単に口で伝えるということではなく、自分自身が一番素直にワクワクして仕事するのを大事にしてるし、っていうかそういうやり方しかできないけど。うちの用語だとそれを「フルチン」って言うんだけど、うちの女性たち・スタッフにもそうであってほしいというか……。

「フルチン」ってどういう意味ですか?

あ、ごめん、本当にその通りの意味です。普段みんな色んな「服」とか「鎧」を着てるでしょ、生きていくためにそれが必要だと思って。こういう場所ではこういう態度が求められるのでは?とか、こういうポジションではこういう振る舞い方をしないといけないのでは?とかそういうべき論のこと。

それをまあ脱いでみるというか、せめて意識してみるとか、ちょっと外すタイミングがあってもいいよねという感覚。具体的には、「べき論」で動くのではなく、自分が心から考えていることなのか、自分が想像する「世間」の声が言ってるのかは、同じ自分の意志決定でも全然違うことなので。

で、その鎧を取って自分と向き合ったり人と向き合うと、無防備で、例えば人に何か言われたことにダイレクトに反応して結構傷つくことがある。鎧が攻撃されても傷つかないけど、素っ裸で話し合って攻撃されたら傷つくことがあります。

例えば、自分の組織に失望して辞めていく人がいたときに、その人の話を素っ裸で聞いてみる。そうすると組織の不満や自分のマネジメントへの不満が出てきますよね。そのとき鎧を着ていればいくらでも言い訳できたりします。「社長っていうのはそういうものだから」「組織っていうのはそうあるべきだから、仕方なかったんだ」という鎧が自分を守ってくれることがあります。それはそれで大事なんだけど、ときおり、「この人が言っていることに自分はどれくらい真摯に向きあえているのか。自分自身の至らなさはどこにあったのか。何が出来ていただろうか」と鎧をとって自分とも対話してみると、言い訳が吹き飛んで自分が傷ついたりしてしまうことになるわけです。でもそこにこそ、自分自身に嘘をつかず生き生きと過ごせる在り方、働き方のきっかけがあるんじゃないか、という態度のことです。これは師匠に教わったことですけど。

つまり「フルチンになれ」という話で伝えたかったのは自分自身とつながる感覚や、authenticity。つまり自分らしさをたまに意識してやってほしいということ。そういう価値観を割と人に求めているんだと思います。

具体的な課題に向き合い、べき論を捨てる

自分らしさという言葉が出てきましたが、学生時代の過ごし方について何か大事にした方がいいことがあれば教えてください。

現地調査でカンボジアを訪問
大学2年生時、共同代表の本木さんとかものはし立ち上げのための現地調査でカンボジアを訪問

大学には半年ぐらいしか真面目に通ってないけど笑、過ごし方って悩みますよね。例えば中途半端な気持ちで就活してはいけないんじゃないかとか、色んなことに手を出すと失敗するんじゃないかとか、そういう悩みがあるじゃないですか。そういうときに注意した方がいいのはそのメンタルモデルそのもの。

そのメンタルモデルが想定しているのは、「世の中には『ベストのやり方』や『ベストな距離感』があってその正解を選べているかどうかで今の自分を判断する」ということでしょ。それはそのモデルが間違っていると思っていて、何をやるにしても人間全員が全然違うし、状況も違うし、業界違ったらノウハウも全部違うし、上司の人格も違う。上司によっては昨日と今日で言っていることが違うかもしれない笑。昨日の正解が今日の不正解かもしれない。そんな中で選択肢の中に正解と不正解のあって正しいものを選びとらないとレース脱落、みたいな感覚は間違っていると思う。もっと大事なのは、不安にとらわれず、自分がより素直になれる選択肢はどれかなという感覚を持つことだと思う。

だから学生時代に何をやるべきか、という問いはあまり良くない問いで、どれをやれば幸せになるかどうかなんてわからない。大学を卒業した方がいいかどうか、起業した方がいいかどうか、それは今付き合ってる彼女と分かれた方が良いかどうかくらい僕にはわからないこと。感情もあって縁もあって今があるので、自分のキャラクターとその時の人間関係に向き合って、ベターなものを探っていくしかない、という覚悟を持つしかないのではと思います。

どうしたって不安を抱えたまますごしたくないだろうから、早く一生のキャリアを決めて、20代前半で正解ゲットだぜみたいなノリですごしたいという気持ちはわかりますが、現実的には難しいんだと思います。むしろ、世間の声との距離感を間違えてしまって、それに迎合するが、なんか自分の将来を考えているようで実は自分の頭で考えてない。単純に世間体の様なただ漠然とした不安にすごく動かされたりしているだけかもしれません。そういう動き方も若いうちはある程度しょうがないとは思うけど、僕はそういう「べき論」が嫌い。

例えば「青木さんは経営者なんだからもうちょっとこうしてください」とか「無理!」みたいに言うことが多々あります。世間が求める経営者になりたいわけじゃなくて、自分の良さを活かしながら無理しすぎない形で事業を進めていくことしかできない訳なので。とはいえ、単に何でも規律なくやるという意味の自由、が正解だというわけじゃなくて、経営者の在り方だって千差万別だというのを確信として持っているということでもあります。だから「経営者とはこうあるべきです」という話をされても、それは今あなたが見てきた経営者はそうだったかもしれないけどね、ぐらいの感覚でいられるわけです。

社会が嫌いとか何もやりがいを見つけられない学生もいると思いますが、何か明るいアドバイスをお願いします。

明るいアドバイス笑!エネルギーが出ないとか、つまらないとか、幸せじゃないみたいなのは実は結構複雑なシステム的な問題だと思うので、気持ちの持ちようだよねと言えるほどシンプルな問題じゃないと思います。そういう感情があるのは当たり前だし、なかなか個人の力だけでどうにかしていくのはしんどいですよね。ただ、「自分に何が合っているのか」「やりがいってなんだ」って考えるときに気をつけてほしいことを伝えるなら、何もいっていないようだけど「やってみるまでわからないし、決めつけずに色々やったらいいんじゃないかな」ということでしょうか。

例えば自分がリーダータイプなのか、ナンバーツータイプなのかという問いがあったとして、「僕は今までサークルでいつもナンバーツーをやってうまくいくからナンバーツータイプなのでは」とか人は類推して就活に望んだりしますよね。でも実はその人はリーダーをやった経験がただなかったりするだけだったり、リーダーシップのタイプを限定的にしか知らないだけかもしれない。実際リーダーをやってみるとすごいうまくいくかもしれない。つまり、自分の数少ない経験からの類推なんて全然違ったり結構思い込みが多かったりします。じゃあ考えを深めるためにはどうすれば良いのかといったら、ちょっと興味を持ったことを「自分はXXXタイプだから無理だな」といって諦めずにやってみる、ということ。

繰り返しになりますが、自分自身が何者なのか分かるためには、何か本気でやってみないといけないというのは鉄則。なんかやるというのは、日々の仕事が100あったとして、+5ぐらいだけでも好きな仕事があればそこにだけ心を込めるようなことでも全然OK。もう仕事はどうでもいいのでこの地域の活動に全力注ぐとか、最近で言えばポケモンGOとか、一歩ぐらい周りを歩けば何かに心を傾けるものを持てるはず。まあそれも楽観的なんだけど、一歩ぐらい歩き回ってみると、色んなものが世の中にはちょっとくらいはあるので……。それぐらいのことはなんかやった方がいいんじゃないでしょうか。

その時、自分が大事にしたいかどうかだけが大切なことで、他の人からみたら意味が分からないことでもいいよ。ボーっとする時間だって自分が大事に思ってるなら大事なこと。なんか説教臭くて嫌ですけど。だからこの記事をみて興味を持ってくれたのであれば、是非うちの団体にインターンシップに来てほしいです。これはオススメ笑。

貴重なお話を本当にありがとうございました!最後にSUSUの将来の展望と意気込みをお願いします!

僕には夢が2つあって、1つはこの事業の持つ学校としてライフスキルを育てる力をさらに伸ばしながら女性たちへの教育をもっと世の中の多くの人々に届けたいということ。今女性たちが60〜65人ぐらい働いてるけど、がんばっても年間新規で雇用できるのは30人ぐらい。そのままだと、毎年30〜40人にしかうちの教育サービスを届けられないということになります。でも例えば、もしかしたらこの教育のエッセンスとかコンセプトとかを他の場所で提供できるかもしれないですよね。もっと具体的に言うと、ここで培ったトレーニングのノウハウを、民間企業や工場で働いてる女性たちに提供してみるのはどうだろうとか、もしくは職業訓練学校に届けてみるのはどうだろうとか、カンボジアの中学校高校とか、実はこのライフスキルを身につけることでより自分らしく生きられる、というのはカンボジアに限らずどこにでもある課題で、他の国でも提供してみるのはどうだろうかとか思っています。色んな場をどんどん学べる場所に変えていってみたいです。

もう1つは、女性たちが学習する大事なプロセスとしていま進めているSUSUというビジネス・ものづくりへの思い。やっぱり物を作ってるので、買ってもらう人に喜んでもらって愛してほしいという思いがあります。そうやって人に価値を提供して人を喜ばせた、という事実が女性たちにとっても自尊心を育む本当に大切なきっかけになるので。買ってくれた人が、作り手の女性たちのストーリーを身近に感じられて、その人自身が頑張る気持ちを何パーセントかでも応援できたらいいなと思う。買い手と作り手の距離が近いブランドに育てていきたいと思っています。

青木 健太 プロフィール写真

青木 健太、認定NPO法人かものはしプロジェクト共同代表

2002年、大学在学中にかものはしプロジェクトを共同設立。2008年からコミュニティファクトリー事業運営のためカンボジアに赴任。2017年度でカンボジアへの支援終了が決まり、団体からの独立を決断。2016年2月にハンドメイドブランドSUSUを立ち上げ、カンボジアの農村の女の子たちのエンパワーメントをテーマに「ものづくりを通じて人づくり」を実践中。

SUSU店舗情報

営業時間:月曜日〜日曜日 (1pm〜10pm)
住所:Pari’s Alley, 14 The-Lane Krong Siem Reap, 63000, Cambodia
電話:+855-93-633-866(日本語対応スタッフ常駐)
HP: susucambodia.com
Facebook: susufromcambodia
Instagram: @susu_cambodia

編集後記

インタビューを通じて最も印象に残ったのは、青木さんの対人関係における「距離感」でした。離別感というか、青木さんは人が好きだからこそ、他人は自分とは違うということを尊重し、それが事業の根底を流れる価値観として垣間見られたり、青木さんの人柄の大きな魅力の一つになっているんだなと感じました。

また、一番嬉しいのは周りの人の変化で、国際協力の意識は全くないと話す青木さん。「港型リーダーシップ」とご本人が呼ぶように、青木さんは人々が生き生きと働き、それを支えている自分が嬉しいと「エゴ」の部分を否定しません。筆者は国際開発と人類学を専攻した身として、いつも理論上において”自己”と”他者”を気にしすぎていましたが、今回青木さんからお話を伺うことによって、何よりも自分が楽しんでやることが一番大事で、それを肯定するのはこれ以上ない自然なことだということに改めて気づかされました。

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